かなり遠くまで行ってきました。。
こんにちは、伊藤です。
昨日、鹿児島まで行ってきました。
片道1200キロ以上の道のり、
朝6時40分の新幹線に乗り、
鹿児島中央駅に着いたのが、
12時50分頃と、
新幹線で約6時間でした。
そこからさらに
レンタカーを借りて
1時間以上かけて山の中へ、
14時30分頃やっと目的地に着きました。
目的地は「知覧」(チラン)という場所です。
この知覧という場所、
70年以上前の戦時中に
陸軍の特攻隊の基地がありました。
数年前に話題になった
「永遠の0」は
海軍の零戦で、知覧の近くの鹿屋基地から
神風特攻隊として出撃していましたが、
今回訪れた知覧は
陸軍特別攻撃隊の出撃基地でした。
私が知覧を知ったきっかけは
知覧と特攻隊について書かれた
「人生に迷ったら知覧に行け」という本との出会いでした。
その本を
読みながら衝撃と感動で涙が止まらず、
前々から一度行きたいな~と
思っていましたが、
鹿児島の中でもさらに奥地なので、
なかなか行けずにいて、
そのうち知覧のこともすっかり忘れていました。
ところが、
先日の夜、例の本がふと目に止まり、
読んで見たところ、
「やっぱり知覧に行くしかない!」
「きっと何かの力に呼ばれている!」
「今行かなければ、
またずっと先になってしまう」と思い、
本を読んだ翌日、
つまり昨日、
思い切って
始発に飛び乗って行ってきてしまいました。
なんで知覧に行きたかったのかと言うと、
戦争の悲惨さがどうだとか、
世界平和がどう、
ということを感じたかったわけではなく、
もちろんそれらも大切ですが、
私が行きたかった理由は、
特攻隊員の方々がどんな思いで
特攻に行かれたのか?
特攻の前日や直前の心境は
どんなだったのか?
それらを
遺書や手記、遺影を見ることで、
直接肌で感じたかったからです。
多くの特攻隊員が当時17歳~20代前半の若者で、
今の高校生~大学生くらいの方がほとんどでした。
遺書や手記には、
「もっとこんなことをしたかった。」
というような自分の欲求や心残りを書いたものはなく、
残された家族が悲しまないように、とか
親孝行ができなかったけど、今回の特攻で
日本のために命を捧げられるので喜んでください。
など、
残された方の未来を案じるような
ことばかりが書かれていました。
もちろん手紙の検閲もあったようなので、
弱気なことは書けないということは
あったかもしれませんが、
それにしても、
皆さん立派な字で
堂々と書かれていました。
そして、
出撃直前の写真などもあるのですが、
思いつめた写真ではなく、
笑顔があったり、
優しい顔だったり、
とてもいい澄んだ男の顔ばかりでした。
私は
犠牲精神や命の大切さを
感じたかったわけではなく、
隊員の方々の
出撃するまでの数日~数ヶ月の
生き方、使命感、命の全うの仕方
それらを感じ、
ひるがえって、
自分はこの隊員の方達に比べて、
毎日一生懸命生きられているだろうか?
先人の犠牲の上に成り立っている
現在の日本で、
自分ができることは何だろうか?
そんなことを考え、感じたくて、
知覧の空気感を肌に浴びたかったのです。
なかなかの長旅でしたが、
自分の中で得たものはありました。
今回の旅で得た思いを胸に
隊員の方々の思いに恥じぬよう
日々、精進していきたいと思います。